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人生人生

我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心

前向きに生きるということ

前記事続けるということ - 人生人生

 

 

前記事では「ATMとしてより優秀に」ということを書いたが、そもそもATMでありたくはないというのが本懐である。わかっていたものの、周りから全額嫁に渡しているという話を聞くと本当に愕然とする。古代ローマ王朝時代の奴隷もかくやという奴隷っぷりである。

ちなみにうちはおこづかい制であり、残業代等で出た余剰分は全て貯金分に回されることが先日決定した。ただただ無念だ。

オトコが家族を養うことは日本の文化慣習上避けられないこととして、全て受け入れてはいるが、納得し難い。家庭内円満のためとは言え、嫁に「ありがとう」と言いいながらお小遣いをもらう様は我ながら滑稽である。

本当は毎週英会話に通ったり、様々な習い事に使いたかった。ちなみに結婚してからボクシングもやめてしまった。本当に残念だ。

貯金の使い道は将来の子供のためだ。

つまり、僕の稼いだお金は、稼いだ直後から僕という人格を離れてもう別の誰かのものになってしまうのだ。僕の稼いだ時間は僕の人生を消費して得たものだ。それが還元されないということは‥つまり僕の人生は終わったということだ。生はあるがただ呼吸しているだけに限りなく近い。サービス労働ということだ。なんてつまらないんだろう。実際に子供ができればまた認識は変わるのだろうか。そう願いたい。

 

続けるということ

僕のような凡庸中の凡庸が、将来の自分のためにできることと言えば、お金を貯めたり、自分のスキルアップのための時間を持つこと。という事に本当の意味で気がついた。

 

今まで何故気付かなかったのか。いや気づいてはいたが意識が薄くなっていた。

なぜならありがたい事に、何にも意識しなくてもお金はたまっていたし、ある程度スキルアップできていたから。

 

会社の福利厚生で寮に住むことができており、賭博も女も買わない僕としては、浪費しない月であれば何万円も貯金に回すことができた。そのおかげでお金に無意識でいられた。

また、入社した直後はかなり負荷の高い職場であったためか、どんどんと詰め込まれたおかげで少しは技術が身についた。そのために自分のスキルアップに無意識でいられた。

 

しかしこれからは違う。

 

結婚等で環境が変わり、現在では僕の給料から月35万円程度支出に回している。また家事等の負担も今まではかなり適当(週末にまとめて)にやっていたが、同居ということもあり手伝い程度だが時間を費やすようになった。当然家で休む時間少なくなる。(一応、嫁は週一であるが共働きであるため分担している)

仕事にも行き詰まりを感じる。とにかくもっと先進的なアイディアを実現できるようなスキル(アイディアそのものよりも考える土台)作りを今までしてきていない分、職場で空虚な存在になっているような気がする。また精神的に病んだ先輩のフォローの仕事も回されるようになり、どこにも成長する兆しがない。

 

それ自体が成長というかもしれない。責任感の醸成‥いやいやいくらよく言おうとも全ては体良く使われているだけ。

嫁にとってはATM。職場にとっては安全弁。

 

与えられた役割以上の価値がないのだ。

それでは僕は嫌だ。どうしようもなく恥ずかしい。ATMならとびきりデカイ額が引き出せるように、安全弁ならどんなところにでもハマるようになっていけるになりたい。つまり自分の価値を高めることに注力したい。早くこの生活から抜け出せることを夢見ている。

アイディアの枯渇、やる気の枯渇

経験も何もないうちに、とある仕事に特化してしまったばかりに、年次の割に全体的にレベルの低い、アンバランスな担当者になりつつあることに焦りを感じる。

 

とある仕事というのもやり方さえわかってしまえば難しくはないため最初頑張ってしまえば誰でもできるし、後輩がその仕事を行う際は僕が手厚くサポートをするよう、上司から言われている。

 

このような文章を書くだけあって、やはり甘えているのだろうか。誰か導き手がいない限り、なかなかレベルアップできないという固定観念が常にある。

 

‥と言いいながら、何もしないと本当に人生終わってしまうので、残業時間を増やしながら勉強がてら新しい仕事に挑戦する日々だ。しかし、指導してくれる人がいれば‥という思いが抜けきらない。

 

まず明らかな時短になるだろう。そして短い時間に深いところまでいける。

極端な例をあげれば、教育システムな正にそうで蓄積した情報を授業として聞くことで効率よく成長できる。

 

 

もちろん職場で授業をしろというのはおかしいけれど、今の自分の仕事を誰かにパスしたいのであれば、それ相応の手ほどきをするのは当然の義務だ。下の世代の成長が自分の身を助けることにつながるとはどうして考えないのか。

山での気づき

一日自由にしても良いと言われた時、真っ先に思い浮かんだのは山だった。僕は山が好きだ。先日兵庫の山に登った。もちろん1人だ。

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久々の自由な時間で、存分に自分と向き合うことができた。気づいたことは怖いくらい明白だった。1人が好きだ。

 

もうこれから先、自分自身を優先することができない上に、休みの日は疲れた体を引きずって、勝手に入れられた予定をこなすだけの週末になるのかと思うと今から辛くなって狂いそうになる。

 

 

 

 

5時半には意識は覚醒しているものの、若い頃より体が動かない日が増えた。

陰鬱な列車の中、朝食を食べ風呂に入る。浴槽の中で歯磨き洗顔髭剃りを済ませて髪と体を軽く洗う。風呂に入ると少し気分が明るくなる。

ほのかに蒸気が残る洗い場で手早く体を拭き着替えて風呂場を出たら、座らずにそのままカバンを拾い上げて玄関に向かう。テンポよくここまで起きてから20分以内にここまでこれば上出来だが、玄関にゴミ袋が置いてある時、陰鬱な気分が戻ってきてしまう。捨ててきてよ、の強烈なメッセージ。金を払ってゴミ捨てを強要される日々。

ようやく最寄り駅に向かう。歩きながら今日の行う予定の業務を整理をする。幸いと言うべきかわからないが、毎日のルーティンはない。しかし一度仕事を振られると対応しきるまで、毎日その仕事と向き合うこととなる。

電車の中では常に誰かを批評している。入り口はファッション。人は見た目が9割とはよく言ったものだなと改めて思う。ダメな格好なやつにいい点数はつけづらいからだ。しかし、私が主に見ているのはセンスではなく、清潔さである。服にシワ、フケがないこと。立ち振る舞いに生き生きとした生気があること。膝まで伸ばしたショルダーバックなんて最も嫌いだ。いかにもだらしない。カバンの角もボロボロでみすぼらしい。

あまり関係ないが、ビジネスライクなカジュアル系ブランド、アウドドア系ブランドに好感を抱くようだ。

乗り換えをしたら一層気分は持ち込む。なぜなら会社の最寄り駅行きの電車は非常に混み合っており、常時寿司詰めだからだ。周りを見渡せば、ターミナル駅の行き交う人よりさらに生気のない人間で溢れている。朝の電車には、逃げ場のない悲しみを共有するかのような、妙な一体感がある。そこから会社の席に着くまでが私の朝だ。

 

結婚とダイエット

突然ですが、今度結婚します。

そこで問題となるのは当ブログ最大のテーマダイエットです。

 

数多の業務に流されてやってしまいました。暴飲暴食。

仕事はなんとか完遂しましたが代償は大きかった。

ある朝、体重に乗った時に出てきた62キロ→66キロという世にも悲しい数字。

そして現在に至ります。

 

正直なところ、こんなダイエットに囚われた人生から、早く脱却したいのです。

そのためにもなるべく早く痩せて次のステップに行かなければならない。そう思っています。

業務過多と体調不良

長いこと休んでいました。

 

様々な要因により業務量が増えてしまったこと、それに対応するための生活に切り替えたところ体調不良を招いてしまったというありきたりな話です。

 

 

やはりダイエットは心の平穏とともにあるんだろうなと思いました。何かを一生懸命やりながらだと、僕の場合運動する時間を作りだせず、その間痩せることができませんでした。

 

ダイエット的には無為な数ヶ月です。非常に悔しい。また始めていきます。