人生人生

我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心

性格の悪さ

今までなぜか人に嫌われたり、集団に溶け込めなかったりすることが少ないながら確実にありました。

 

今までは『合わないだけだ』と言い聞かせてきたわけですが、この度ブログを見返してきて大いなる勘違いであったことに気づきました。すなわち、

僕は性格が悪い。

 

気づき

気づきの筆頭は『他人を見下す癖』です。仕事に関して少し覚束ない先輩を他人を見下す癖があります。

仕事はそれ自体はもちろん、仕事への知識の程度や取り組み方を含めても、その人を測る指標にはなり得ないと思っています。

普段の業務との離れ具合、向き不向き等、各人のパーソナルな部分を考慮しても結局とある一面の表れに過ぎません。

 

という考えを持ちながら、私はその一面を持って他人への態度を決めていました。雑な人には雑に。わかっていない人には横柄に。尊敬する人に丁寧に。露骨にではないですが、確実に変わっていたと思います。

 

失ったもの

これで何かを失ったかと言われれば、飲み会の機会くらいだと思っています(誘われなくなった)。

これら社会なので厳しくて当たり前という自分の中の漠然とした常識で正当化している部分もありました。

また当ブログでも師匠として何度か話題に出している、直近の先輩が私に対してだいぶキツめの対応だったわけです。根気よく、腐らずアタックしつづけた結果、すれ違いざまに嫌味や皮肉を言われるようになりました。

その先輩から『態度が変わるのはよくないよ』と一度言われたことがあります。つまり、本当に嫌われていったというわけです。私以外の後輩にはとある得意な技術を教えているのがその証明でしょう。‥‥結局とある技術の学びの場を失ってますね。これは非常に残念だ。非常に残念ですが‥師匠の『大学の後輩のみ溺愛する』するという性質があったので、結局聞けなかったかもしれないと思って開き直るしかないですね。

 

今後

今後最も生産的なのは『より深く他人を理解し、いいところを見つけて尊敬するようにする』と言ったところでしょうか。

つまり、表面的、一面的なな部分に寄って判断していることをやめるよう心持ちから変えていくわけです。

‥‥結果『仕事は微妙だけどいい人だ‥』と結局見下す可能性もなくはないことが我が子とながら恐ろしいですが、少しずつ変えていくしかありません。

より良い人生のために自分自身を変えていきます。