読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

人生人生

我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心

己のレベルの低さ

職場の仕事のレベルの低さに辟易するが、そこはもはや自分のレベルの低さに言い換えても同じことだろう。つまり自分自身が無能なのだ。しかし幾分か他の人より割りを食っているのだと思う。

 

もっと超長時間働けるようになってたくさんタスクを捌かない限り幸せになれない。早く帰れない。

どういうことか。

結局『自動化ツールづくり』等の作業を組み込んでいかない限り仕事を圧縮できないからだ。かなり多くの計算ツールがあるため時間が必要。オーソライズしなくてはならないし。

というのも、前にも述べたが、依頼を断るという事は絶対にできないからだ。せめて期限を延ばしていくことで1日あたりの業務時間を減らしている状況だった。もうこれしかない。

 

しかし‥最近はもう必要なことでも実現できる能力や体力がない‥。ストレス源を多く抱え込んでしまっている。あまりにも無能だからこの場にいるんだと気付かされる。どうしようもない。

無力感で立ち上がることもできない。寝ることも。今もケータイでベッドの上から書いている。

無能すぎてつらい 

厭世と情熱の間

今日も早く帰ってきてしまった。

 

気分が全く優れない。体調に関してもやや喉が痛い程度で全く問題ない。

原因はわからない。仕事も家庭もうまくやっているつもりだった。間違いや失敗もほとんどない‥と自分では思っている。しかし、その一方であらゆる場面で、どんどんやる気がなくなってきており、会社でもただ立っているのもやっとの時がある。家でも本当に落ち着かず、常に責められているような気持ちになる。

 どうしたらこの状態から抜けられるのか。

性格の悪さ

今までなぜか人に嫌われたり、集団に溶け込めなかったりすることが少ないながら確実にありました。

 

今までは『合わないだけだ』と言い聞かせてきたわけですが、この度ブログを見返してきて大いなる勘違いであったことに気づきました。すなわち、

僕は性格が悪い。

 

気づき

気づきの筆頭は『他人を見下す癖』です。仕事に関して少し覚束ない先輩を他人を見下す癖があります。

仕事はそれ自体はもちろん、仕事への知識の程度や取り組み方を含めても、その人を測る指標にはなり得ないと思っています。

普段の業務との離れ具合、向き不向き等、各人のパーソナルな部分を考慮しても結局とある一面の表れに過ぎません。

 

という考えを持ちながら、私はその一面を持って他人への態度を決めていました。雑な人には雑に。わかっていない人には横柄に。尊敬する人に丁寧に。露骨にではないですが、確実に変わっていたと思います。

 

失ったもの

これで何かを失ったかと言われれば、飲み会の機会くらいだと思っています(誘われなくなった)。

これら社会なので厳しくて当たり前という自分の中の漠然とした常識で正当化している部分もありました。

また当ブログでも師匠として何度か話題に出している、直近の先輩が私に対してだいぶキツめの対応だったわけです。根気よく、腐らずアタックしつづけた結果、すれ違いざまに嫌味や皮肉を言われるようになりました。

その先輩から『態度が変わるのはよくないよ』と一度言われたことがあります。つまり、本当に嫌われていったというわけです。私以外の後輩にはとある得意な技術を教えているのがその証明でしょう。‥‥結局とある技術の学びの場を失ってますね。これは非常に残念だ。非常に残念ですが‥師匠の『大学の後輩のみ溺愛する』するという性質があったので、結局聞けなかったかもしれないと思って開き直るしかないですね。

 

今後

今後最も生産的なのは『より深く他人を理解し、いいところを見つけて尊敬するようにする』と言ったところでしょうか。

つまり、表面的、一面的なな部分に寄って判断していることをやめるよう心持ちから変えていくわけです。

‥‥結果『仕事は微妙だけどいい人だ‥』と結局見下す可能性もなくはないことが我が子とながら恐ろしいですが、少しずつ変えていくしかありません。

より良い人生のために自分自身を変えていきます。

合理的な落とし処あるいは運命

仕事は潜水に似ている。息を止めて、できる限り心拍数をあげないように泳ぐ。深く潜れると楽しい。潜りすぎると死ぬ。

 

今日は〇〇活動なるもののリーダーに任命されました。〇〇活動とは『通常の業務できないような業務をメンバーでやる』と言ったもので、活動内容は自分たちで選ぶことができました。例として書庫の整理をしたり業務フローの整理表の作成など簡単なものが多いです(他部署からそれなりの批判は伴うが忙しくてこれぐらいしかできない)。

 

しかし今回から課長がテーマを決め、それを皆でやることとなった。なるほどテーマを選ぶ手間が省けたぞと思って書類を開くと‥‥

何とテーマはここ最近、私がやっている業務の内容そのものでした。

恐らく課長としては『普段の業務内容から選んでやったぞ』という業務の増加を防ぐ優しい心でやってくださったと思うのですが、その一方で『一ヶ月に一回部長の前で報告しなければならない』といった重めのルールが課せられています。

 

またこの活動に限って言えば、私以外に進めようがないということもありってかなりの負担感、不公平感を感じます。

 

もちろん他の人に任せてもいいんですが、何から何まで指示して何から何までお世話するのは正直しんどい‥。

とにかく自律的にやってもらうということはほぼ不可能な状態です。とにかくリーダー以外は真剣味がなく参加しない、やらない。

 

そしてやはり気になったのは‥せっかく一人でやっても成果が分散する点です。我慢し難い。先にも書いたがどうせ皆何もしない。しかしこうなった以上はグループの活動して発表するしかないのだ。

また自分の業務が『通常業務でない』と明言されてしまったようで、何とも悲しい。

 

 

英語を学ぶ

会社帰りに英語を学びたいと思い、有名な英語塾に通うことにしました。

まずは数回通うお試しコースで通えるかどうか試してみます。

今日早速行ってみたいと思います!レッツゴー!

 

 

勢い込んで行ったものの1回目は面談とコース説明でした。そりゃあそうだ💦

以下レポ。

まず着いた途端まだしっかり名前も伝えてない段階で、『お待ちしておりました!』と、客間のようなところに通させました。満面の笑みで迎えてくれた女性のエリアマネージーにちょっと戸惑いつつも。TOEICのLevelアップが目的と伝えたら、それを目的とするコースを紹介いただけました。いい感じですね。

 

ただ中学の教科書みたいなテキストの様相に少し戸惑いました‥。

まあしょうがない。己のレベルの低さを自覚しよう。

 

最後にTOEIC担当の教師と英語で面接簡単な自己紹介、読んでくださいと言われた文を読み、少し採点いただいて終わり。

まあ少しは話せるのねと。評されました。

先生‥マジで気のせいです‥!セールストークありがとうございます(ひねくれ)

 

これで大体のレベルも伝わって粗方コースも決まり無事面談を終えました。

帰り際、外国人講師に話しかけらましたが、下を向いて『サンキューサンキュー』と言って乗り切りました(乗り切ってない)

 

来週は授業一回目。楽しみです。

 

やさしい気持ちで

利益なんか出なくてもいいんだ。やさしい気持ちで聞いてほしい。

結局物事に対するコミットの程度は人次第でありそれぞれであり、とにかく多く関われとは誰も指示していない。

 

相変わらずへんちくりんな方向でものことを進めようとする営業の方が給料も高いというのはどうにも解せない。

東京の一等地で偉そうに集めた数字を書き写す仕事に終始してるだけで、最初にその数字を書いた奴の労力や勇気なんて微塵評価されないのはおかしい。おかしいよ

働き方改革

日本政府は人口や労働力人口が継続して減少している中で、長時間労働・残業などの悪しき慣習が日本経済の足を引っ張って、生産性低下の原因になっていると考え、最近では働き方改革に積極的な動きを見せています。

 

私の会社でもノー残業デイを増やしたり、22時になると放送がかかったり、早期退勤を促す工夫が増えてきました。しかし、肝心業務業務のスリム化にはなかなか至っておりません。

 

なぜ業務改善は進まないのか

私が思う私の会社での理由ですが、下記3点が挙げられます。

  1. 依頼された時点で期限が迫っているから
  2. 個人単位で業務量が偏ってしまうから
  3. 業務量が少ない人は業務改善を望まないから

 

期限は自分では整理できない

まず1の『依頼された時点で期限が迫っているから』です。これは依頼する側がギリギリになってから他部門に依頼を出す場合です。

巷の本には自分の業務量を把握して、いつでも断ることが大事!だとか、それに付随してうまく断る方法等が紹介されたりしていますが、比較的、業務体系が洗練されたところ(仕事の重複がない)では、依頼を出された方は絶対に断ることはできません。他の部門では代わりが効かないことを業務としてやっているからです。

うちの会社では大抵、担当者に直接依頼が来ます。つまり業務状況を上司に相談する余地が全くないのです。

これではスケジュールを確保することはできず一日の業務量を増やして対応する以外なくなるのです。

 

能力と業務量はバランスする

次に2の『個人単位で業務量が偏ってしまうから』です。

これはある意味は宿命なのかもしれません。なぜなら誰しも優秀な人(業務のクオリティが高く、こなすのが速いといった場合だけではなく、その人のみ持つ技術が必要な場合を含めて)に仕事を頼みたいからです。ここでは苛烈な仕事の押し付けは除くこととします。

こういった場合、少しは頼られている分やりがい等も感じやすいのでは思ってしまいがちですが‥とんでもないです。

なぜなら頼る方は『お前がやって当たり前』だと思っているからです

依頼側はありがとうなどと言いません。一部ありがとうと感謝してくる人間もいますが、業務改善の上では最も危惧すべき相手です。なぜなら大抵ありがとうなどと言ってご機嫌をとってくる輩は、さらなる仕事の依頼を目論んでいます。どのように場合においてもヘイトと業務量は溜まります。

と、このように能力は高ければ高いほど利用されるわけで普通はそれを避ける方法などないのです。

 

もし、『そんなの誰かに振ればオッケー!』と思っている方、振る相手がいることにまず感謝してください。

そしてそのまま周りがその方法を行うあなたに納得する場合は、気をつけてください。

あなたはすでに諦められている可能性があります。当然例外はあるのでしょうが、大抵の職場では業務量を隠しサボることはできません。年次に応じた実力もつきにくくなるでしょう。次で最後です。

 

低き者はより低いところに流れる

最後は『業務量が少ない人は業務改善を望まないから』です。

仮に、なんやかんや年次に応じた実力を身に付けることができず(サボっていた場合だけではなく)ついには、常に助け舟が必要な人間になったとします。大きな企業だったら首を切られることもありません。わかんないよ‥と言っておけば上の人や周りがなってくれます。後輩にも当然のように振ればわからないことすら隠せるかもしれません。業務量は減りに減ります。定時で帰れます。さて、この人は業務改革する必要ありますか?

 

ないでしょう。仮に業務を平準化したら仕事を多く持つ人がから仕事が流れてきます。

一方、効率化した場合、人が減らされ、自分が新しい職場に飛ばされたりして別の誰かの支配を受ける可能性があります。この場合、業務量は増えるでしょう。また後輩な同僚が他の職場にいくことになれば、やはり自分の業務量が増えるでしょう。

 

 

 

 

 

と、以上のように本当に残念なことにこれら3つを解消すること以外に業務改革の流れは進むことはないでしょう。そしてそれは絶望的であることはわかりきっておりどんなに改革が進もうとも以前と見違えるように変わったとなどいうことはなく、少しずつしか進まずやがて旗振り役は歳をとり若い時代を無為に過ごしたことに気づきます。

どんな世代でも少し時間を無駄にしたくないと思った時できることは、若い世代に提案に呼応することです。後はひたすら自分を磨くこと。特に業務量が簡単に思えるほど、各業務に熟達する以外道はないような気がしています。真の自分の改革こそ、抜本的な業務改革になり得る唯一の手段なのかもしれません。