人生人生

我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心

5時半には意識は覚醒しているものの、若い頃より体が動かない日が増えた。

陰鬱な列車の中、朝食を食べ風呂に入る。浴槽の中で歯磨き洗顔髭剃りを済ませて髪と体を軽く洗う。風呂に入ると少し気分が明るくなる。

ほのかに蒸気が残る洗い場で手早く体を拭き着替えて風呂場を出たら、座らずにそのままカバンを拾い上げて玄関に向かう。テンポよくここまで起きてから20分以内にここまでこれば上出来だが、玄関にゴミ袋が置いてある時、陰鬱な気分が戻ってきてしまう。捨ててきてよ、の強烈なメッセージ。金を払ってゴミ捨てを強要される日々。

ようやく最寄り駅に向かう。歩きながら今日の行う予定の業務を整理をする。幸いと言うべきかわからないが、毎日のルーティンはない。しかし一度仕事を振られると対応しきるまで、毎日その仕事と向き合うこととなる。

電車の中では常に誰かを批評している。入り口はファッション。人は見た目が9割とはよく言ったものだなと改めて思う。ダメな格好なやつにいい点数はつけづらいからだ。しかし、私が主に見ているのはセンスではなく、清潔さである。服にシワ、フケがないこと。立ち振る舞いに生き生きとした生気があること。膝まで伸ばしたショルダーバックなんて最も嫌いだ。いかにもだらしない。カバンの角もボロボロでみすぼらしい。

あまり関係ないが、ビジネスライクなカジュアル系ブランド、アウドドア系ブランドに好感を抱くようだ。

乗り換えをしたら一層気分は持ち込む。なぜなら会社の最寄り駅行きの電車は非常に混み合っており、常時寿司詰めだからだ。周りを見渡せば、ターミナル駅の行き交う人よりさらに生気のない人間で溢れている。朝の電車には、逃げ場のない悲しみを共有するかのような、妙な一体感がある。そこから会社の席に着くまでが私の朝だ。