前向きに生きるということ
前記事では「ATMとしてより優秀に」ということを書いたが、そもそもATMでありたくはないというのが本懐である。わかっていたものの、周りから全額嫁に渡しているという話を聞くと本当に愕然とする。古代ローマ王朝時代の奴隷もかくやという奴隷っぷりである。
ちなみにうちはおこづかい制であり、残業代等で出た余剰分は全て貯金分に回されることが先日決定した。ただただ無念だ。
オトコが家族を養うことは日本の文化慣習上避けられないこととして、全て受け入れてはいるが、納得し難い。家庭内円満のためとは言え、嫁に「ありがとう」と言いいながらお小遣いをもらう様は我ながら滑稽である。
本当は毎週英会話に通ったり、様々な習い事に使いたかった。ちなみに結婚してからボクシングもやめてしまった。本当に残念だ。
貯金の使い道は将来の子供のためだ。
つまり、僕の稼いだお金は、稼いだ直後から僕という人格を離れてもう別の誰かのものになってしまうのだ。僕の稼いだ時間は僕の人生を消費して得たものだ。それが還元されないということは‥つまり僕の人生は終わったということだ。生はあるがただ呼吸しているだけに限りなく近い。サービス労働ということだ。なんてつまらないんだろう。実際に子供ができればまた認識は変わるのだろうか。そう願いたい。